Twitter(X)やYouTubeコメント欄はゴミ掃き溜め!匿名ネット民の低俗コメントに驚愕!それ、嫉妬・妬み僻みでしょ?

最近、TwitterやYouTubeコメント欄が気持ち悪すぎて・・・。
特に政治クラスターがひどい・・・「正義」を語りながら、実は自分のエゴを守っているだけの人たちの罵詈雑言にあふれているんですよ。
SNSやネット掲示板を見ていると、「社会の不公正を正す」「庶民の声を代弁する」と言いながら、実際には自分の感情や立場を正当化するだけの投稿が目立ちます。
彼らの多くは「正義の味方」を気取りつつ、論理的思考も自己反省も欠いた“底辺的な発想”に支配されています。
今回は、そんな人々が陥りがちな3つの典型的な愚行――ポジショントーク、ドミナントストーリー、スパイト行動について、具体的に見ていきましょう。
一言でいってしまえば、物事を客観的に思考することができない知性の低い下賤な輩です。
世の中にはこんなに程度の低い人間がいるのだとネットを見るまでは知らなかったので、あまりのヒドさに驚愕すると同時に不快感が沸き上がるのが抑えられないですね。
ネット民にありがちな3つの特徴

ポジショントーク
自分の立場や背景、あるいは自分が属するクラスターにとって都合のよい公平性に欠ける主張をすること。
ドミナントストーリー
最初に結論や絶対的価値観があり、その結論に都合の良い意見だけ集めて、結論に誘導するように主張すること。
スパイト行動
自分が損をしてでも他人の足を引っ張る行動や意見を言うこと。
例えば「(増税で生活が苦しくなるのは嫌だから・・)、消費税の増税を取りやめ、法人税の増税をやるべきだ!」「消費税増税するくらいなら、富裕層や公務員からもっと徴税しろ!」みたいな意見ですね。
ネット民は「バカ、暇人、実社会では生きていけない輩の最後の楽園」なんて書いてある知恵袋もありますが、本当にそのとおりだと思います。
正直このようなコメントを書いている人は、自分より人生を充実させてる人間を僻み根性で叩いているか、日常のストレスや怒りから感情論を叫んでいるだけのダメ人間としか思えません。
もちろん、割合的には全体の極少数の最底辺の残念な層なんでしょうけど、このような少数の低俗な下賤ネット民のバカな発言に、大多数の一般庶民は疲弊するばかり。
なんとかして欲しいものです。

ネット民の民度が低すぎな理由①:ポジショントーク ― 「自分の得になる正義」しか語れない人

まず最初に挙げるべきは、「ポジショントーク」です。
これは、自分の立場・背景・所属するクラスターにとって都合のいい意見だけを「公平な意見」と偽って主張することです。
たとえば、消費税の議論を考えてみましょう。
多くの一般庶民が「消費税の増税は許せない」「庶民が苦しむだけ」と声を上げます。一見すると“弱者の立場からの正義の主張”のように聞こえますが、実際には単なる自己防衛的なポジショントークにすぎません。
なぜなら、「自分が損をするから反対している」だけだからです。
彼らは経済の仕組みを理解しているわけでもなく、長期的な財政安定を考えているわけでもない。ただ、「自分の財布が痛むのはイヤ」という感情的な理由で反対しているのです。
一方で、法人税減税のような政策になると「大企業を優遇するな!」「庶民いじめだ!」と声高に叫びます。
しかし、企業が成長しなければ雇用も給与も税収も増えないという基本的な経済循環を理解していません。要するに、「自分の所属していない側」が得をするのが気に入らないだけなのです。
こうした“自分に都合のよい正義”ほど、民主主義社会を歪めるものはありません。
本来、政治や経済政策の議論は「誰が得をするか」ではなく、「社会全体がどう良くなるか」で語るべきものです。
ポジショントークに終始する人間は、知識ではなく被害者意識で世の中を見ているにすぎません。
ネット民の民度が低すぎな理由②:ドミナントストーリー ― 「最初に結論ありき」で情報をねじ曲げる人

次に多いのが「ドミナントストーリー」です。
これは、“最初に結論が決まっていて、その結論を補強する情報だけを集めて主張する”という思考のことです。
たとえば、「法人税減税に反対」という意見を持つ人がいるとします。
理屈やデータの検証をする前から、「大企業が悪」「格差が広がる」「庶民が損をする」と結論を決めている。
そのうえで、ネット上の自分に都合のいいニュース記事やツイートだけを集めて、「ほら、やっぱりおかしい」と声を上げる――これが典型的なドミナントストーリーです。
現代の情報社会では、自分の主張を裏付ける“証拠”はいくらでも拾えます。アルゴリズムはあなたの嗜好を学習し、同じ意見の人の発信ばかりを表示する。
その結果、「自分の意見は多数派だ」「これが真実だ」と錯覚するのです。
しかし、科学的・論理的な議論とは、自分の仮説を否定する可能性を探す行為です。自分の意見を補強するだけの情報収集は、議論ではなく宗教です。
ドミナントストーリーに陥った人は、思考しているようで実は思考停止しています。彼らは「考えている自分」という自己イメージに酔っているだけで、実際には結論のために情報を歪める“自己都合のプロパガンダ”をやっているのです。

特に地獄なのは「ポジショントーク」「ドミナントストーリー」を組み合わせてクソリプを投げてくるモンスターです。
例えば、格差問題を叫ぶ人は大概ドミナントストーリー・ポジショントークだったりします。自分の立場に引きずられ都合の良い意見ばかり言う下賤の輩ですね。
「自分たち一般庶民は消費税増税で苦しい。なのに、強い大企業や富裕層が法人税減税で恩恵を得るなんて気に食わない!」みたいな感情に引きずられているように見えますね。
その結果、以下のような思考プロセスを経て、質の低い意見を量産します。典型的なポジショントーク・ドミナントストーリーですね。
頭がよくない人の思考プロセス
【STEP1】強い大企業や富裕層に対する妬み僻みの感情や不満がある
【STEP2】(理屈ではなく感情的に気に入らないので)勝ち組を批判したい
【STEP3】自分の意見を主張するのに都合の良いソースばかり探す
真っ当な思考プロセスであれば、案①と案②の2案があるならば、両案のメリットデメリットを公平に収集し、客観的にどちらが良いかを判断します。
ですが、こういう人たちは最初に「心理のフィルター」が付いていて、「●●に反対」「△△に賛成」という結論ありきで議論を進めています。
意見に偽装しているだけで、本質は「嫉妬」「ただの愚痴や不平不満」という最もタチの悪い意見と言えますね。
嫉妬から他人を批判しだすとか、人として最低ですよね。いい大人が恥ずかしくないんでしょうか?
富裕層や大企業を妬ましいと思うのであれば、「自分もビッグになってやる!」と一層努力するのが正常な人の反応です。
ですが、自らを奮い立たせるのではなく、妬ましい存在を引きずり下ろすような思考をする人間は歪んでいるとしか思えないです。
ネット民の民度が低すぎな理由③:スパイト行動 ― 「自分も損するが、あいつがもっと損するならOK」という地獄思考

最後に紹介するのが、最も醜い心理構造――「スパイト行動(Spite Behavior)」です。
これは、自分が損をしてでも他人の足を引っ張るという心理的行動のこと。嫉妬と怨念に満ちた、“負の感情エネルギー”で動くダメ人間の典型です。
話を分かりやすくするために、簡単な例を書きます。
あなた(一般人)は今100円をもらってます。一方でXさん(強者)は1000円をもらっています。今後の配布をどうするか、以下2案から、あなた(一般人)が選択できるものとします。
どちらを選びますか?
案①:あなた(一般人)が90円をもらい、Xさん(強者)が100円をもらう
案②:あなた(一般人)が110円をもらい、Xさん(強者)が10000円をもらう
正解は「案②」に決まってますよね?
庶民にも利益(100円→110円)がある上に、全体のパイも増えている「客観的で論理的な選択」と言えるからです。
ですが、残念ながら、この当たり前で合理的な選択ができない人がいます。これは行動経済学で【スパイト行動】と呼ばれているもので、下賤な輩だけが発症する残念な病気です。
合理的に考えれば、案②を選ぶべきです。あなたも得をしているし、全体のパイも大きくなる。社会全体が豊かになる方向に進んでいます。
しかし、スパイト行動に陥った人は違います。「Xさんが得をするのがムカつくから案①がいい」と答えるのです。
自分が損をしてでも、他人を貶めたい。それが“正義”に見える――まさに底辺の精神構造です。
SNSでは、こうしたスパイト行動が毎日のように観測されます。
他人の成功報告に対して「どうせ裏がある」「親が金持ちなんだろ」と嘲笑し、大企業の成長ニュースに「庶民を搾取して儲けてるだけ」と書き込む。一見「弱者の声」を装っていますが、実態は嫉妬と怨恨の塊です。
こうした思考の行き着く先は、自分の人生の停滞です。他人を攻撃しても、自分の生活は一ミリも良くならない。
それどころか、憎しみや妬みに支配された思考は脳を疲弊させ、行動のエネルギーを奪っていきます。
「他人が得をする世界」を許容できない人間は、結果的に「誰も得をしない世界」を望むようになります。それは、まさに“地獄”です。
民度低すぎて終わってる自称”庶民の正義”のネット民に騙されないように!それはただの気持ち悪い愚者のエゴ!

ポジショントーク、ドミナントストーリー、スパイト行動――。
これら3つに共通する根っこは、「自己中心的な感情を、理屈で正当化する」という人間の愚かさです。
一見、社会的正義を語っているようで、実は自分の心を守るための方便でしかありません。
「自分が正しい」と信じた瞬間に、思考は止まります。
「本当にそれは客観的に正しいのか?」「社会全体にとってプラスなのか?」
そう自問できるかどうかが、知性と愚かさの分かれ道です。
民主主義は“感情的なポピュリズム”ではなく、“冷静な理性の集合”によって機能します。
ネット社会で目立つ“底辺的発想”とは、まさにこの理性を失った姿です。
だからこそ、私たちは「自分の意見が感情の産物になっていないか」を常にチェックする必要があります。
「社会が悪い」「政治が悪い」と嘆くのは簡単です。
しかし、社会を動かしているのは、他でもない私たち自身です。
もし、あなたの言葉が“誰かを攻撃する快感”から生まれているなら、それはもう「正義」ではなく、「憎しみの娯楽」です。
ポジショントークを捨て、ドミナントストーリーを疑い、スパイト行動を超える。
それが、真に知的で成熟した市民の姿勢です。
自分が損をしてでも、みんなが豊かになる道を選べる――
そんな人間が増えたとき、ようやく日本の民主主義は本物になるでしょう。


