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「ツイッター増税反対デモ勢」「減税会」が気持ち悪い理由【怪しい団体】

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減税派って自分が税金払いたくないから減税に反対してるのでは?

 

私は日本の状況を考えると、これ以上の増税は良くないと考えています。

無駄な歳出の削減や社会保障費の削減で財政の健全化を保ちつつ、増税を避けるべきだと考えています。

日本の場合は財政の問題があるので、ただちの減税は難しいですが、将来的に状況が改善すれば積極的に減税・規制緩和して小さな政府を目指して欲しいと思っています。

減税にはメリットが多いのです。

減税のメリット

消費者のメリット

・税負担が減る → 使えるお金が増える

・消費が伸びて、暮らしの満足度も上がりやすい

企業のメリット

・税負担が減る → 投資・事業拡大に回せる資金が増える

・収益が増え、研究開発や新製品づくりが進む → 雇用や生産性向上に期待

経済成長の押し上げ

・消費+投資が活発化 → GDPや雇用の増加につながる

投資の促進

・個人・企業ともに手元資金が増える → 新規事業、既存事業の拡大が進む

競争力の向上

・企業のコストが下がる → 経営効率が上がり、市場での強さを高めやすい

 

ネットでも私のような意見の方は多いと感じるのですが、一方で減税派の一部(ごくごく少数です)には非常に気持ち悪い集団も存在するのをご存知でしょうか?

 

それが「ツイッター増税反対デモ勢」や「減税会」です。

彼らは、「#税金下げろ規制をなくせ」「#全ての増税に反対」「#消費税廃止」「#税は財源ではない」等のタグを使って、X(旧Twitter)で日々情報発信をしているようですが、まるで「減税が全て」と思考停止しているかのようにタグを使ってツイートを繰り返しタイムラインを汚染しているのです。

おそらく「減税会」自体を発足した方々は真っ当な人が多いのではないかと思うのですが、そこに群がる会員達が問題であり、質の悪い下賤な層が集まってきているという印象を受けます。

インボイス制度のときも大騒ぎでした。

 

同じ減税派の私ですら、彼らには不快感を感じます

会社の同僚と話したところ、同僚たちも同じ意見でした。「まあ、ツイッターは民度が低いからね」という結論だったのですけど。

その理由は、彼らからは日本を良くしたいというイデオロギーを全く感じないからです。彼らから感じるのは「自分勝手なエゴ」「他力本願」です。

 

自分勝手なエゴ

彼らはひたすら「減税!減税!」と叫んでいます。政策的には減税すべきタイミングと増税すべきタイミングがありますが、彼らにはそんなものはお構いなしという感じです。

日本の財政問題や政策論や社会の未来を考えて発言しているようには見えません。目先の自分の生活が苦しいから「自分が税金を払いたくないから減税を叫んでます!」と自分の醜さを自ら自白しているような印象を受けます。

他力本願

彼らは常に「減税!減税!」と叫んでいますが、「財源はどうするのか?」「無駄や中抜きを削減するとして、具体的にどのように効率化するのか?」といった具体的な政策論に触れている人は非常に少ないです。

まるで「どうするか考えるのは政治家の仕事だ」と他力本願的に思考停止し、自分の欲望と愚痴をSNSで垂れ流すだけの下賤な動物のように見えます。

正直、同じ日本人として、こういう人達が存在すること自体が恥ずかしいです。

 

 

消費税増税反対派の友人が言った「信じられない一言」。自分の生活のことしか考えていないのでは?

私は「消費税増税反対派」なんですが、先日、減税派の知り合いと話していて「信じられない一言」に萎えてしまいました。

 

X:「軽減税率って、結局「軽減」じゃなくて「据え置き」じゃん?」

私:「まあ、そうだねー」

X:「これだけ景気が悪いのに増税とかありえないでしょう」

私:「へぇ~」

X:「俺は絶対、増税は反対だよ!」

私:「そうなんだ~」

X:「消費税に代替する財源としては・・・(あーだこーだ)」

私:「ふーん」

X:「タバコとかなら増税してもいいよ。俺、吸わないから。

私:「え!?(; ・`д・´)」

 

 

正直「コイツは何言ってるんだ?」と思ってしまいました・・・

 

「俺、吸わないから。」

この言葉の裏には、「自分が損をしなければいい。他はどうでもいい。」という自分勝手なエゴが見え隠れしています。私もタバコなんて吸いませんが、こんな「自分勝手な意見」はさすがに賛同しかねます。

 

こんなことを言われてしまうと、

「この人が消費税増税に反対している理由は、”自分の負担が増えるのがイヤ”というだけの自分勝手なエゴでは?」

と勘繰ってしまいますよね。(;´・ω・)

 

これが、減税派や減税会という集団の本質なのでしょう。

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怪しい減税会・増税反対論者は恥ずかしいエゴイストだらけ!ポジショントークなしで税制のメリット・デメリットを客観的に考えてる?

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こちらの消費税増税の反対・賛成のアンケートを取った記事によると、

■増税・節約についてのアンケート・ランキング

総計で最も多かったのは「反対」で44%、

次いで「どちらともいえない」で33%、

「賛成」は23%という結果になりました。

 

ということで、消費税増税反対派が44%と圧倒的に多いわけですが、この統計データは信用できません。

というのも、上述と同様の理由で、この44%の中に「 ”自分の負担が増えるのがイヤ”。だから、消費税増税は反対!」とか考えているエゴイストが紛れているのではないかと思われるからです。

 

消費税増税に反対の意見をすることが良くないと言っているわけではありません。税制のメリット・デメリットを客観的論理的に分析し、日本の未来を真剣に考えた上で「消費税増税に反対」ということであれば、それは素晴らしい意見なんだと思います。

 

しかし、一方で「消費税増税に反対」の意見の背景にあるのが、自分勝手な損得勘定から発生する「ポジショントーク(自分の立場に都合の良い発言)」であるならば軽蔑すべき意見です。

自分にとって得になることは賛成

自分のとって損になることは反対

みたいな、日本の未来を全く考えずに、自分の損得・エゴで政治を語っている悪質な人間が世の中を悪くしているんです。

 

残念ながらネットやSNSで散見される「減税会」と言われる集団は、真剣に税制や日本の財政を考えている層ではなく、自分の生活が苦しいから減税を叫んでいるだけの下賤な輩が多いという印象です。

もちろん多くの日本人は、このような恥ずかしい考え方ではないと思います。全体で見れば少数派でしょう。しかし、インターネットではこのような少数派の恥ずかしい人達が目立っているので注意が必要です。

 

 

「自分の損得ではなく”みんなの幸福”を軸に考える」という当たり前のことを忘れているネット民

日本は民主主義国家です。つまり、「国を動かしているのは政治家ではなく、私たち国民一人ひとり」です。

この当たり前の事実を、私たちはしばしば忘れてしまいます。テレビやSNSの意見に流され、「誰かが何とかしてくれるだろう」と思い込む。その結果、国の方向性を他人任せにし、自分の暮らしが不満だと感じたときだけ文句を言う──。それでは、民主主義の本来の力は発揮されません。

民主主義とは、単に「多数決で決める仕組み」ではありません。

本来の意味は、「多様な意見を持つ人々が、それぞれ自分の頭で考え、議論を重ね、最も合理的で長期的にみんなが幸福になる道を選ぶ」ことにあります。

つまり、感情ではなく理性で、利己ではなく公益で判断する責任が、国民一人ひとりにあるのです。

「損をしても正しいことを選ぶ勇気」

政治を語るとき、しばしば「自分が得をするか損をするか」という視点が前面に出ます。

たとえば、税金や社会保障の議論でも、「増税はイヤ」「給付金をもっと」「自分の生活が苦しい」という感情が先に立ちやすい。しかし、民主主義の成熟とは、そうした“感情の正直さ”を出発点にしながらも、そこに留まらず「みんなのために何が最善か」を考える段階に進むことです。

ときには、自分にとって損な選択でも、社会全体にとって望ましい政策があります。

それを支持できるかどうかが、「真に成熟した市民かどうか」を分ける分岐点です。

短期的な利益を追う人々が増えれば、社会はやがて“自己中心的な集合体”に変わり、互いに疑い、奪い合い、協力の精神を失っていきます。逆に、長期的な視点で「自分たちの子どもや孫の世代が豊かに生きられる社会を残す」ための選択を積み重ねれば、民主主義はその真価を発揮します。

「正しい政治」は「みんなの幸福」を目指すもの

政治とは、「一部の人を得させるための仕組み」ではありません。

理想的な政治とは、社会全体の幸福をできる限り最大化する仕組みです。つまり、誰かの得が、他の誰かの損によって成立するような構造は、本来の政治の姿ではないのです。

目先の利益ばかりを追う政策は、必ずツケを未来に残します。

たとえば、人気取りのために行うばらまきや、財源を無視した減税、公平性を欠いた優遇措置などは、一時的に人々を喜ばせても、やがて財政悪化や格差拡大という形で社会全体を苦しめます。

逆に、痛みを伴っても長期的な安定を目指す政策は、最初は不評でも、時間が経つにつれてその真価が評価されるものです。

私たちが考えるべきは、「今、自分が楽になるか」ではなく、「10年後、20年後にこの国がどうなっているか」です

政治とは「未来への橋」を設計する仕事であり、私たちはその設計に責任を持つ“共同設計者”なのです。

「エゴ」と「意見」は違う

現代ではSNSを通じて誰もが簡単に政治的意見を発信できます。

それ自体は素晴らしいことですが、問題はその多くが「意見」ではなく「感情の叫び」になっている点です。

「自分が損するのは嫌だ」「増税なんてふざけるな」といった発言は、意見ではなくエゴの表明です。

意見とは、「なぜそう考えるのか」「その政策が社会にどんな影響を与えるのか」を説明できる思考のことです。

民主主義の根幹は「討論」です。討論とは、相手を攻撃することではなく、互いの理屈を照らし合わせて、より良い結論を導き出すプロセスです。

そのためには、相手を尊重し、自分の感情を一歩引いて客観的に考えることが必要です。

自分が間違っていたと気づいたら、素直に修正する勇気も必要です。それが「成熟した民主主義社会」に生きる大人の姿です。

「日本のために考える」という誇りを取り戻そう

私たちは、いつの間にか“国を自分ごととして考える”という意識を失いつつあります。

「政治は難しい」「誰がやっても同じ」と諦めてしまう。しかし、その無関心こそが最も危険です。なぜなら、国民が考えなくなったとき、政治は必ず一部の人々の手に握られ、民主主義は形だけのものになってしまうからです。

政治家の発言やメディアの報道に左右されず、自分の頭で考える。そして、自分の利益ではなく、みんなの幸福を軸に判断する。そうした小さな積み重ねが、社会をゆっくりと変えていきます。

私たち一人ひとりが「この国の主権者」であるという誇りを取り戻し、「自分の損得を超えて、正しいと思うことを選ぶ」——。

それこそが、民主主義の最も美しい形であり、次の世代に誇れる生き方なのです。

「エゴ」ではなく「良心」で政治を考える。

「批判」ではなく「参加」で社会を動かす。

この当たり前の姿勢を、私たちがもう一度思い出すことが、日本をより良くする第一歩なのではないでしょうか。

 

 

減税には賛成!だがエゴには反対!日本の未来を「フラットに」「客観的に」「真剣に」考えよう。

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私は減税派・消費税増税反対派です。

でも、賛成派の人を批判したりはしません。

その人が、日本の未来・全体利益を真剣に考えて、客観的知見から出した意見であるならば、結論が「賛成」でも「反対」でも、それはきっと日本の将来を良くしていく、尊い意見だと思うからです。

 

でも、逆に、例え私と同じ減税派の人間であったとしても、本音は「自分勝手なエゴ」で、「負担が増えるからイヤ」と子供みたいなワガママを言っている人間がいるならば、はっきり言って人間性を疑いますね。

 

子供が「歯医者は嫌いだから行きたくない」とダダをこねているのと同レベルです。

いい大人がこんなんで、恥ずかしくないんですかね?

増税うんぬん言う前に、その「幼児性」を改善された方が良いのではないかと・・・。

 

 

日本は民主主義です。我々庶民が国を動かしているのです。

政治家やニュースに流されるのではなく、自分の頭で「フラットに」「客観的に」「真剣に」考えましょう。

そして、例え自分が損になることであったとしても、日本のために正しいと思うことは「正しい」と主張しましょう。

 

本当にみんなのためになることをするのが本当に正しい政治です。

目先で自分だけ良ければ良いという意見は論外です。長期的にみんなが幸福になる施策を打つ事こそが政治の役割です。

一部の人間のエゴでみんなの利益を損なう行為は、本当に恥ずかしいことです。